Dear XXX

アメリカと日本を行ったり来たりして育ち、外資系企業勤務後、現在はシリコンバレーで活動中。そんな私が思ったり思わなかったりすること。

Dear シリコンバレー労働事情

シリコンバレーの企業の多くは、なんか、日本の会社と比べると、夢のような会社環境だったりします。大きいところでいうと、GoogleとかFacebookとかは、おやつも豊富、ご飯も朝昼晩食べられる、クリーニングや洗濯もやってくれる、バスで送り迎えもある、部活動もある、チケットも割引みたいなのもある、などなど、福利厚生プラスαみたいなのが、超しっかりしています。

 

今日までは、それって、エンジニアとかがハッピーになって、クリエイティブになって、イノベーションを!みたいなことだと思ってました。

 

でも、どうやら、違ったようで。

 

仕事で、ベイエリアでも有数(と私は思っている)、エンジニア・科学者集団の会社に行きました。弊社もよく仕事を委託するのですが、オンデマンドで発明をする、と謳っているような会社で、とにかくキレッキレの人達が、日々開発しまくっているというところです。広いキャンパスの一部にインキュベーターもあり、とにかく素敵な環境です。

 

今日は、日本からの出張者を連れて、そのキャンパスの見学に行きました。日本で弊社の研究開発センターをリニューアルするにあたって、参考に出来ることはないか、と。そこで、イノベーションを促進する極意、みたいなのを聞いてみました。

 

先ず、とにかく人の動線がぶつかることが大事とか。オープンなデザイン、ごちゃごちゃな席順、低い仕切り、色々な人がお互いと話す環境を作っている。これは、納得いきました。更に、キッチンは1つだけ。コーヒーを飲むためにも、みんなそこに来なければいけない。そこで、必ず誰かにばったり会う。その延長で、ランチやディナーも、毎日ではないけど提供している、と。それをすることによって、ランチを外に食べに行く回数が減り、同じ社内の人間に囲まれてご飯をする機会が増える。更に、外部からの人も招いて、イベントなどもすることで、外からの刺激も受ける。

 

ただ、このディナーを提供する、っていうのには、更に意味がある、と。観察した結果、集中して働いているエンジニアが席を立って帰宅するのは、”風呂に入りたい”とか”ご飯を食べたい”とか、必要な欲求に起因している、よって、それらを会社で満たせるようになれば、会社で長時間働き続けてくれる、と。その時間から会社が得られるリターンを考えたら、ご飯を提供することなんか、痛くも痒くもない投資だ、と。

 

日本で長時間労働していたころ、前職の会社も、8時以降まで残業がある日は、食事代が出る会社でした。ただ、クライアントワークが必ず長時間になるからであって、長時間働いてもらうために提供する、ということではなかった・・・。私の会社なんか、きっと恵まれていた方で、日本の多くの企業は、夕飯代なんかきっと出ないし、それこそコンビニとかでカップラーメンを買って大急ぎで食べて夕飯終了、みたいな企業人が、世の中たくさんいるんじゃないかな・・・と。

 

そう考えると、企業として、”出来るだけ働いてもらおう”という思考は同じにもかかわらず、アメかムチかで、人の企業への意識が大きく違うんだな、と、はっとさせられました。実際の長時間労働はなくならないかもしれない、でも、どう社員を扱うかで、まったく社員の士気は変わり、アウトプットも変わるんじゃないかな、と。

 

まぁ踊らされていると言ったらそうかもしれないけど、気持ちよく踊らされてる分には、それでもいいかな、と思ってしまうのです。

 

かしこ。

Dear 連絡先情報

小学校の同窓会が3月に行われます。

 

32歳で、小学校の同窓会って、あんまりいないのかな、と思います。が、やたらと仲がいいのです、我々。未だに私の親友は小学校からの子たちだし、周りも割と、連絡取り続けてる子達が多いみたいです。

 

でも、一クラスあたり約40名いると、みんながみんな、ずっとつながってるわけではないんですよね。

 

お祭り野郎な私、アメリカにいるにも関わらず、今回私のクラスの幹事になりました。色んな人に連絡取ろうとしてるんだけど、LINE、Facebook、Email、実家住所、電話番号、などなど、人によってわかっている情報が違うし、わかっている情報も古かったり、SNSはあまり使ってなかったり・・・などで、どうにもこうにも連絡つく人が少ない・・・。

 

昔は、実家にはがきを出せば届いた?のかもしれないけど、便利になった現代だからこそ、意外とつながりにくくなってたりする面もあるのかな、と感じています。そんなことはないか。

 

とりあえず、全ての媒体を可能な限り使って、連絡とりまくる大作戦で頑張ります。

 

かしこ

Dear シリコンバレー賃貸住宅市場

「日本って高いんでしょ」

 

 日本にいてもアメリカにいても言われます。何でも高いと思われてます。日本への観光が増えないのも、実際に航空券は安くないというのはありますが、「日本は何でも高い」というイメージが定着してしまっているからというのもあるんじゃないかと思います。デフレのせいもあってか、サンフランシスコという物価のおかしいところに住んでいるせいか、東京安いっていうおかしな感覚になってますが、確かに、都内の家賃は、日本全体では圧倒的に高いのだと思います。怒涛の労働時間に耐えるため、オフィスの徒歩圏内でルームシェアをしていた私の家賃も、おそらく高めだったと思います。

 

でも、高くないんです。この辺に比べたら、すごく安いんです。1DKや1LDKで、30-40万が相場。高い。高すぎる。今の部屋、嫌いではないのですが、契約更新時に値上がりするため、この度引っ越しすることにしました。

 

でも、高い高いと言っても、家賃だけじゃないんです。部屋によっては洗濯機がついていない・つけられない。そうすると、コインランドリーに通わなければならない。一度に数ドル使って洗濯すると、塵も積もれば山となる。ガレージが付いていない物件では、外に駐車場を借りなければならない。物件によって、水道・電気・ガス・下水・ゴミ回収の支払いの負担があったりなかったり。なので、エクセルで計算シートを作りこんで、色々な前提条件を組んで、年間あたりの費用を比較。色々日本での物件探しとは違います。

 

エクセルシートで分析して決めようと思ったのに、同居人となる彼氏殿(パー君)と、先ずどんな物件が好きか見極めよう、ということで、2部屋下見して、急遽申し込み。最初話していた条件や、好みとかではいまいちなかったものの、悲しいかな、窓からの景色がよくて、つい・・・。しかも、さっさと審査通ってしまって、速攻決定。思っていたタイミングより早かったし、ほとんど見てないで決まっちゃったし、契約書サインする前に、ちょっと立ち止まってみたくなりました。びびり。

 

物件探し、まぁ賃貸なので、長くても1年のコミットメント。うまくいかなかったら、1年我慢すればいい。そう思い、なんか、まぁいっか、って段々思い始めました。Leap of faithという言い方を英語ではしますが、信じて飛び込んでみてもいっか、と。いつか、転職して3週間で辞めたことや、えいって渡米を決めたことや、なんか、人生の大きな決断って、ゆっくりかけてするものでもないんじゃないかな、と。前職でよく、80/20 という言い方をしましたが、あとどれだけ時間かけても、もっと良い物件が出てくる気もしない。決断に関わる材料が増えるわけでもない。だったら、今えいって決めるしかないな、と。

 

なーんて、なんだか物件探しにやたらと自分と向き合わされましたが、物件決まったので、来月あたりにはお引越しです。

 

前回の引っ越し時の話もまたいつか書きたいと思いますが、今回はもっとスムーズだといいな・・・。

 

かしこ。

Dear 献血センターさま

今日は、献血に行ってきました。公衆衛生万歳な私なので、昔から定期的に献血をするようにしています。

 

日本では、よく、有楽町の献血センターに行っていました。それまではアメリカで会社や学校が行う献血しか行ったことがなかったので、駐車場に止まっているトラックで行われる献血しか経験がなかったのですが、さすが日本。オペレーションがすごい!早い!丁寧!ロッカーもあれば雑誌もあれば!お菓子の種類も半端ない!すごく感動したことを覚えています。

 

渡米してから献血センターを探していたものの、なぜか赤十字ばかり探していて、近場に見つからず、2年ほど献血できていませんでした。よく考えたら赤十字以外も当然あるわけで・・・。

 

有楽町にあった献血センターと比較すると、全然キレイじゃないし、オペレーションもいまいち。でも、そんなことはあまり重要じゃないですよね。必要なものは全部そろっているし、何も問題なくチェックインを済ませました。

 

自分の無知さに悲しくなるのですが、災害などがあったわけでもない平常時、少なくともこの近辺では、血液よりも血小板の方が需要があるらしく、今回は普通に献血しましたが、次回は血小板にしたいと思います。けが人が多いわけではなく、先進国、しかも大病院が集結するこのエリア、血小板を必要とするがん患者さんが多いというのは、よく考えたらその通りなんだろうな、という感じでした。

 

更に知らなかったのは、人種によって、血液型の割合は異なるということで、地域の人種構成によって、必要とされる血液型の量が異なるということでした。

 

アメリカ生活、十数年経っても、知らないことがたくさんあって、学びが多い毎日です。

 

かしこ

 

 

Dear アメリカンな彼氏殿 - 伊達巻編

明けましておめでとうございます。

 

昨年は、自分にとって、初めてプライベートな変化が大半を占めた一年でした。まだ、ライフイベントのようなことがあったわけではないですが、パートナーと呼べるような人に出会いました。学業・仕事に頑張ってきた、と言ったらかっこいいですが、実際はあんまり良いご縁もなく、かわいらしさもなかったのかもしれませんが、31歳で素敵な人と出会えました。

 

まぁとはいっても、一人っ子がだれかと生活をしていくって、色々と果てしないということに気付かされています。過去に様々なルームメートと、計10年間くらいは暮らしましたが、共同生活をするのと、誰かと生活を共有するのはまた違うんだな、と感じることがたくさんあります。ルームメートによっては、私のお箸を髪飾りにしてしまったり、日本から持ってきたお蕎麦などを勝手に食べてしまったり、東南アジアのお金持ちの娘さんにいたっては、お手伝いさんがいるお家で育ったため、ゴミは出さないとなくならないということが理解できなかったり。色々な苛立ちを抱えつつ、一方で共同生活の美しい面もたくさん経験させてもらいました。でも、それって「他人」との暮らし。彼氏殿は、いずれは「家族」になるかもしれないけど、まだ「他人」。でも、「他人」よりちょっと近い。そんな距離。また生活を共有するには、今までとはちょっと違う気がします。

 

そんな今年のお正月、シリコンバレーで迎えました。彼氏殿のアパートの屋上(フェンスなどは無いので、実際はあがっていいのか不明)から、ベイの花火を見ながら、シャンパンを飲む・・・なんて、シャレオツな雰囲気ですが、実際は、近所のクラブが大音量で大騒ぎしているし、そこら中で人がしょぼめな花火を打ち上げてるし、カオスでしかない感じでした。アメリカって、花火のルールが厳しいのか緩いのか、よくわかりません。一つ言えるのは、日本の花火ほど感動しない・・・苦笑

 

そんな彼氏殿とのお正月の一幕。日本語もしゃべらず、未だ日本に行ったことすらない彼氏殿は、いつも新しいものに興味津々。日本食も、少しずつ色々食べさせてみています。大晦日には年越しそばを。蕎麦を週1では食べる家庭で育った私には、ざるを所有しない家庭なんてあるのか!?って感じだったのですが、独身30代男性、ざるなし。急遽ざる購入。お正月には、お雑煮とお節もどきを食べさせてみました。お雑煮は、我が家は関東なので、シンプルな澄まし汁に四角い焼いたおもちが入っています。これは、普通にむしゃむしゃ食べてました。シアトル育ちの彼氏殿。シアトルは日系人が多いので、幼少のころから現地日本人会の餅つき大会などに馴染みがあったらしく、まったく抵抗もなくむしゃむしゃ。

 

問題はお節。数の子、昆布巻きはアウト。かまぼこには不思議そうな顔。でも、伊達巻は妙に気に入ったらしく、どんどん食べる!でも、ちょっと待って、伊達巻は私の好物だったりするのです。小さいころから、伊達巻は大好きなのです。一人っ子で育った私は、両親を初め、祖父母も私の好物を知っているため、多めに伊達巻を用意してくれる、更に、私が食べられるように取っておいてくれる・・・。でも、3人兄弟で育った彼氏殿は、好きなものは食べないと取られてしまう。ということで、気づいたら伊達巻が無い!大好きな伊達巻が涙

 

問題解決するとすれば、お金が許すのであれば、次回からは多めに伊達巻を買えばいいし、ダメなら彼氏殿に負けないように早めに食べればいいし、それもダメなら、まぁ伊達巻が食べれなくても、そんなに悲しくないかな。それより、彼氏殿が楽しんでくれたのならそれは嬉しいかな、そう思えるのが、「他人」よりちょっと近い人と生活を共有することなのかな、と学びました。それから、そうやって、どの問題は譲れないか、どの問題は譲れるのか、考えるんだろうな、と。仕事と一緒ですね。

 

なーんてきれいごとを言いますが、実際は、自分用の伊達巻を買うんだろうな。うん。

 

仕事にしても、プライベートにしても、関わる人はみな、完全に違う生き物なんだということを心にとめて、2018年頑張っていこうと思います。

 

かしこ。

Dear ブロゴスフィア

初めまして。

 

東京生まれの東京育ち。10歳でアメリカに移住。12歳で帰国。15歳で再度渡米。高校、大学、大学院を経て、再度帰国。4年強、某外資系企業にて勤務。転職し、現在シリコンバレーを拠点として活動中。国籍は色々あって、アメリカになりました。

 

これが、簡単な私の生い立ちです。

 

そんな私が出来ることってなんだろう、って最近よく考えていたのですが、細々とでも、発信すべきだ!って思い立ったので、発信してみようかと思います。ふと思う矛盾とか、日系企業のアメリカにてのチャレンジだったりとか、生卵がアメリカで食べられないこととか、バイカルチャーで生きている私だから感じることを、世界のどこかの日本語話す人に届けられれば、それを参考にして、日本人として、今後グローバルで生きるっていうことはどういうことか、を一緒に考えるきっかけにしていただければ、と思います。

 

ということで、今日は、実は、アメリカに渡米(3度目)して、2周年記念日です。あの悲劇の選挙から約1年経ち、遂にキャンペーンとロシア捜査への一歩が!という報道がひっきりなしにされています。

2年と数か月前、この仕事の話を頂き、アメリカにまた帰るということがどういうことになるのか、色々と考えていました。当時は、30過ぎて、しばらくお付き合いしていた人もいて、その人との将来とかも実は考えていました。アメリカに帰るということは、心地よくて、美味しくて、仲間が近くにいる、大好きな東京の街を離れなきゃいけない。20年前に移住した際と、インターネットの普及も違うし、所得もそこそこあるし、全てが違う。何より、1度目も2度目も、自分に決定権はなかった・・・今回は、自分の意志で決められる。

かっこよく、新しいチャレンジのために、渡米を決意した、と言えればいいのですが、そんなことではなくて、長期的に、どちらの方が自分の将来が明るく見えるか、という、どちらかという保守的な感覚で、渡米を決意しました。それは、日本の少子化や経済環境に悲観的になっていたこともあるけれども、何よりも、女性として、日本で働いていく将来が明るく見えなかったということが、一番大きかったように思います。アメリカだって問題山積みだけど、でも、より自分らしく、自由に生きられるのではないか・・・という期待を持って。

 

そんな私ですが、これから、ちょっとずつ色々書いていきたいな、と思います。

 

2017年10月31日