Dear XXX

アメリカと日本を行ったり来たりして育ち、外資系企業勤務後、現在はシリコンバレーで活動中。そんな私が思ったり思わなかったりすること。

Dear ブロゴスフィア

初めまして。

 

東京生まれの東京育ち。10歳でアメリカに移住。12歳で帰国。15歳で再度渡米。高校、大学、大学院を経て、再度帰国。4年強、某外資系企業にて勤務。転職し、現在シリコンバレーを拠点として活動中。国籍は色々あって、アメリカになりました。

 

これが、簡単な私の生い立ちです。

 

そんな私が出来ることってなんだろう、って最近よく考えていたのですが、細々とでも、発信すべきだ!って思い立ったので、発信してみようかと思います。ふと思う矛盾とか、日系企業のアメリカにてのチャレンジだったりとか、生卵がアメリカで食べられないこととか、バイカルチャーで生きている私だから感じることを、世界のどこかの日本語話す人に届けられれば、それを参考にして、日本人として、今後グローバルで生きるっていうことはどういうことか、を一緒に考えるきっかけにしていただければ、と思います。

 

ということで、今日は、実は、アメリカに渡米(3度目)して、2周年記念日です。あの悲劇の選挙から約1年経ち、遂にキャンペーンとロシア捜査への一歩が!という報道がひっきりなしにされています。

2年と数か月前、この仕事の話を頂き、アメリカにまた帰るということがどういうことになるのか、色々と考えていました。当時は、30過ぎて、しばらくお付き合いしていた人もいて、その人との将来とかも実は考えていました。アメリカに帰るということは、心地よくて、美味しくて、仲間が近くにいる、大好きな東京の街を離れなきゃいけない。20年前に移住した際と、インターネットの普及も違うし、所得もそこそこあるし、全てが違う。何より、1度目も2度目も、自分に決定権はなかった・・・今回は、自分の意志で決められる。

かっこよく、新しいチャレンジのために、渡米を決意した、と言えればいいのですが、そんなことではなくて、長期的に、どちらの方が自分の将来が明るく見えるか、という、どちらかという保守的な感覚で、渡米を決意しました。それは、日本の少子化や経済環境に悲観的になっていたこともあるけれども、何よりも、女性として、日本で働いていく将来が明るく見えなかったということが、一番大きかったように思います。アメリカだって問題山積みだけど、でも、より自分らしく、自由に生きられるのではないか・・・という期待を持って。

 

そんな私ですが、これから、ちょっとずつ色々書いていきたいな、と思います。

 

2017年10月31日